午後2時に始まる高石北斎の野望

ハロヲタのための24のガヴォット第2番イ長調 視神経午前2時  

20万年たってもわからないかもしれないハロプロの20年 2000年~2003年

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ハロプロ

モーニング娘。を筆頭に

卒業と加入を繰り返して

メンバーの鮮度を保ってきたけど

2015年以降に関しては

卒業するメンバーが案外若く

研修生から昇格するメンバーや

オーディションで加入するメンバーの

年齢が比較的高いことが多いので

思ったほど平均年齢が若くならない。

そういう点では

2002年に加入した15人のハロプロキッズ

ハロプロメンバーの平均年齢を劇的に下げた

 

 

2000年から2002年くらいは

世間の一般人からすれば

ハロプロの全盛期にも見える時期かもしれない。

ミリオンセラーも出たし

TVのレギュラーや冠番組も多かった

CMにもいっぱい出演してた

ライブやイベントも大きな会場でやってた。

それだけに見えない部分でいろんなことがあったんだろうな

ファンサイトはめちゃめちゃに荒れてきたけど

ちょうどネット社会がそういう時期だったから

ゲームサイトとかアニメサイトとかも荒れてた

いろんな法律はネットのことなど想定してなかったろうから

法整備も追いつかず社会通念もゆらいでた

IT業界も戦国時代だったのかも

CDはまだまだ売れる時代だったけれども

その先が見えていたから

ベストアルバムの乱発がとにかく目立った

 

2000年くらいから

モーニング娘。の生みの親ともいえる

ASAYANとの関係がおかしくなってきた

2001年に5期生のオーディションが行われたけど

なんか違う番組で紹介されて

いろんな手違いがあったみたいだ

加入した5期生もとんでもないことになったし

ファンサイトはモーたいへん

 

2000年の10月8日に

奈良榛原の娘。コンに参戦しました・

 

[102] ちょっと遅くなったけど榛原の報告を

投稿者:ローリングなっち
投稿日:2000/10/14(Sat) 22:47

夜のほうしか参加してないけど どうやら曲目も同じ MCもほぼ同じらしい

1.ハッピーサマーウェディング
2.恋のダンスサイト
3.ふるさと(10人バージョン)
4.愛車ローンで
5.告白記念日(byメロン記念日
6.乙女パスタに感動(byタンポポ
7.青春時代1.2.3!(byプッチモニ
8.上海の風(by中澤ゆうこ
9.愛の力(by平家みちよ
10.原宿6:00集合
11.DANCEするのだ!
12.抱いて HOLD ON ME
13.LOVEマシーン 
(アンコール)
1.I WISH
2.モーニングコーヒー
3.サマーナイトタウン

名古屋のハロプロにくらべるといろんな意味で ”わかってる”ファンが多く
マナーやノリも良かったんじゃないかと思う 音響もむしろ控えめで聴きやすい

 

2002年にはキッズオーディションが行われ

6月30日に15人のハロプロキッズが加入して

のちに 8人はBerryz工房 7人は℃-ute

のメンバーになるんだけど

これがまたトラブルを呼ぶ

 

いわゆる ハロマゲドン によって

タンポポ プッチモニ ミニモニ が解体され

それぞれ新しいメンバーになり

ZYX あぁ ROMANS ・・・

いろんなユニットができた

 

2001年に松浦亜弥 2002年に藤本美貴

がソロデビューするんだけど

2003年には藤本はオーディションからの3人と一緒に

6期生としてモーニング娘。に加入

 

ヲタですら把握しきれないくらのカオスでしたよ

 

 

石村舞波(2002.6/30~2005.10/2)

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今からちょうど17年前の

2002年6月30日

オーディションに合格した

15人のハロプロキッズが加入しました。

その中にいた9歳の石村舞波

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4年生にもかかわらず

低学年の子たちよりも幼く見えました。

身体能力は15人の中で

1番低かったかもしれません。

2年後Berryz工房のメンバーとなり

2004年3月3日にメジャーデビューしましたが

2005年10月2日に卒業し

12歳の若さで引退してしまいました。

ハロプロでは最年少引退記録かも)

 

一般からの加入は2人以上いたほうがいい

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今回 娘。15期 に加入したのは全部で3人

一般からのオーディションが2人

研修生北海道から1人

だったわけだけど

9期以降の加入メンバーをみてみると

 

9期 オーディションから3人 研修生から1人

10期 オーディションから3人 研修生から1人

11期 研修生から1人

12期 オーディションから2人 研修生から2人

13期 研修生から2人

14期 他のユニットから1人

15期 オーディションから2人 研修生から1人

 

ハロプロメンバーや研修生以外が

オーディションから加入する場合は

必ず複数になっている。

現在はどこのユニットも研修生出身者が過半数なので

孤立させないために複数加入はいいことだと思う。

 

 

20万年たってもわからないかもしれないハロプロの20年 1997年~1999年

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かつてテレビ東京で日曜日の午後9時から

ASAYAN という番組が放送されいました。

前身はたしか 浅草橋ヤング洋品店 といって

江頭が水に潜ったりしている番組でしたが

夢のオーディションバラエティ と銘打って

若手のミュージシャンなどを発掘する番組になりました。

1970年代の スター誕生

1980年代の 夕焼けニャンニャン

に続いて

1990年代を代表するオーディション番組になりました。

1997年にはすでに数多くのアーティストを

世に送り出していて

日曜日のゴールデンタイム ということもあって

視聴率が高かったと思います。

そんな ASAYAN で

1997年に行われた シャ乱Qロッィボーカリストオーディション

シャ乱Qといえば1990年代を代表する

ビジュアル系ロックバンドの1つでしたから

応募者も多く レベルも高かったんでしょう

 

 

 

リアルタイムで見ていた人も多いと思いますが

このオーディションは 平家充代 が優勝し

落選者の中から5人が集められ

やがてモーニング娘。としてデビューするわけです。

 

ASAYAN の煽りは巧妙でしたし

高視聴率でもあったので

モーニング娘。は かなりのブレイクを果たしました。

もちろんASAYAN出身のアーティストが

すべて成功したわけではないので

娘。メンバーにも傑出したアイドル性や

話題性があったことはもちろんです。

1998年1月28日に 

モーニングコーヒー でメジャーデビューすると

すぐさま2期生 保田 矢口 市井 を加え

2nd.シングル サマーナイトタウン を出し

メンバーが固定でないことを

早い段階で明らかにしました。

(これが遅いとたいてい失敗します)</p

さらに リーダー中澤のソロデビューと

飯田 石黒 矢口 による

ユニット内ユニット タンポポ の結成

1st.アルバム ファーストタイム の発売

その年のレコ大最優秀新人賞を受賞するなど

1998年はことごとく順風だったんです。

(その後もハロプロからデビューするユニットは

 1年目はおおむね順調な傾向があります)

 

1999年になると 

最年少メンバーの福田が4月18日に卒業

 

これはアクシデントだったと思います。

戦略的なものではなかったと思うけど

卒業ビジネス が成立することを示してしまった

結果的に加入と卒業を繰り返して変化していく

という基本路線が固まって

3期生のオーディションが行われました。

当初2名追加の予定とされていましたが

今回2人は選びきれない ということで

後藤1人の追加となり

8人で 7th.シングル

LOVEマシーン の発売となりましたが

これがミリオンセラーになりました。