午後2時に始まる高石北斎の野望

ハロヲタのための24のガヴォット第2番イ長調 視神経午前2時  

J-POPの源流

1960年代には、邦楽は洋楽に比べて音楽的に劣る という認識が一般的だった。
その原因として、当時の専属作曲家制度というものがある。
すなわちこの時代にレコードを出すためには
レコード会社の専属作曲家にならなければならなかった。
自由にく曲を作って発売するといった
今日では当然の自由が認められていなかったのである。

自由競争のない世界では必然的にレベルは低下し、
質の高い音楽を求めるものは洋楽へと流れていくことになる。
しかし多くの人は歌詞がわからない。
TVでは洋楽のカバーを日本語の歌詞で日本人に歌わせた。
これが ザ ヒットパレード という番組なのだが、
このテーマ曲はどう聞いてもヒッパレ ヒッパレ としか聞こえない。
(日テレでやっていた 夜もヒッパレ はこれをパロっている) 

こうした状況に風穴をあけたのが GS すなわち グループサウンズ であった。
もちろんブームに便乗しただけのものもあったが、
今聞いても音楽的な古さを感じさせないものがたくさんあるから
当時としては革命的な音楽だったに違いない。
というか 現在のJ-POPの源流が作られたといってもいいだろう 

タイガースの沢田研二やスパイダースの堺正章などが
その後長く芸能界で活躍したことや
なんらかの形でGSにかかわってきたひとたちが
70年代、80年代のJ-POPの主役であったことを考えると、
日本の音楽文化の土台が築かれていった時代であったともいえる。
(タイガースの 花の首飾り の作曲者は
 ドラクエでおなじみの すぎやまこういち である) 

GSと並んで60年代後半の大きな流れとして、
西と東でおきたフォークブームも無視できない
東では歌謡曲に近いサウンドで多くの人にアピールしたカレッジフォークがあり
西では政治的な主張を盛り込んだアングラフォークがあった。
カレッジフォークは電波に乗りメジャーなレコード会社から発売されたのに対し
アングラフォークはアングラレーベルと呼ばれるマイナーなところから発売された
(今のインディーズに似ているがもっと認知度は低かった)
ところが このアングラレコードから日本初のミリオンセラーが誕生するのである。 

1968年 

帰ってきたヨッパライ (ザ フォーク・クルセダース) 67年12月25日発売 

オリコンチャートにおけるミリオンセラー第1号で68年の年間売上第2位。
メンバーは 加藤和彦北山修はしだのりひこ の男性3人

♪ おらは死んじまっただ  ってきいたことあるでしょ
 

花の首飾り (ザ タイガース) 68年3月25日 

上にもかいたけど、すぎやまこういち の作曲で GSの代表的ヒット曲、
68年の年間第6位
今聞いても このころのGSの曲は
当時 歌謡曲 といわれていたものにくらべて時代を先取りしていた

もちろんつまらない曲も山ほどあったけれど 
現在まで歌い継がれている曲は多く 
ぜひとも今の若いアーティストにカバーして欲しい

そういう意味で 以前 ガレージ という番組でやっていた企画や 
市井&中澤の FORKSONGS 陽水の UNITED COVER など
60年代や70年代の名曲を
現在の20代 30代の人に聞いてもらういいきっかけになると思う  
GSのヒット曲としては、他に 

小さなスナック (パープルシャドウズ) 68年3月25日 年間14位 

エメラルドの伝説 (テンプターズ) 68年6月15日 年間16位 

をはじめ10曲が50位以内にある。50位以内にはないが 

亜麻色の髪の乙女ヴィレッジ・シンガーズ

は最近 THE GARAGE によるカバーが出た

 

謡曲よりのPOPSとしては
 

恋の季節 (ピンキーとキラーズ) 68年7月20日

がミリオンセラーで年間第3位
 

じゃこの年の年間第1位は?

なんと66年3月24日発売の・・・・・・星影のワルツ(千昌夫


このころは1年以上もかかってチャートを上がっていくことも珍しくなかった
 

チャートを上がって行く楽しみを味わったことのあるものにとっては

初登場が最高位で、あとは落ちて行くだけ っていう
最近のチャートの動きは淋しいものがある